"自分の意見がない"ことに悩まなくていい


いつだったか

いくつのときだったか





討論をする場にいたとき


自分の意見がなくて

所在なくて

立場を明らかにして
熱っぽく
論理的に
明晰に語ることができる周囲の人間と

何もない自分を比べて


頭の中が熱くなって

いうならば

みじめな気持ちになったことがある。




それから年月が経って


全く違う環境で全く違うトピックについて語り合う機会があった


そのときは  

頭で考えるよりも先に


とても論理的に整理された考えが

自分の口からこぼれていった



そんな自分に心の中で驚きつつ




少し自分に対して'やるじゃん'なんて思いつつ


その時間をとても満足な気持ちで過ごした



いつでも

どこでも


何に対しても


自分の意見を持ち、それを周囲に伝える能力を鍛え、発揮している人は確かにいる



けれど

みんながそうでなければならないというわけではないと思う




世間の声や、書籍で読んだことを必死に思い出して、


その場の空気や討論の流れに合わせて

"意見"を紡ぎ出す即興作業は





その場を共に過ごしている人々と

よりよい時間を作るために
自分も一役買おうとするホスピタリティーとして



それはそれで美しいと思う


けれども
なにもわいてこないことに対して


そんなに負い目を感じることはなくて






自分は劣っていると思う必要は全くないと思う







ただ

わいてこんなー


でよくて



負い目や焦りや

過度な羨望はとっとと捨て去って



他の人たちの考えを


なんでそう思うのかと
その人の気持ちになるべく入り込む努力をしながら


静かに聴くことに集中すればいいのだ



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